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2000年 はじめてHPを開設した時の挨拶文

hp2000.jpg展覧会を開く度に、自分の作品の前に必ずノートを一冊置くことにしています。「展覧会の折にはご案内しますので、お名前、ご住所、作品の感想等をご記帳ください」という、短いメッセージを添えて。大学の美術サークルに在籍していた頃から続けてきましたので、今日までに本当にたくさんの方に、お名前やメッセージを記帳していただきました。そして、心のこもった励ましの言葉をたくさん寄せていただきました。こんな私の絵に対して、たくさんの方が名前を残してくださったことに、本当に心から感謝しています。日々の忙しさに、くじけそうになると、私はいつもこのノートを手に取ることしています。そしていつも励まされ、勇気づけられ、また絵を描き続ける力を与えられるのです。

けれども時折、自分はどうして絵を描くのか自問します。いったい自分が絵を描くことに何か意味があるのか、自分はいったい何がしたいのか、どこにへ向かっているのか……。いつも答えはみつからないのですが、私は絵を描く上でずっと大事にしている、ある「世界」というか、ある「雰囲気」があります。それは、言葉にするのがとても難しいのですが……それはとても曖昧で不安定で、はかなく、うつろいやすいもので……具体的にそれが何なのか、正直自分でもよくわかっていないのです。ただ、私はそのとらえ難い何かに形を与える仕事をしていきたいと思っています。けっして手が届くことがなくとも、そこへ近づく努力を続けていきたいと願うばかりです。
 
私はいつも立ち止まったり、よそ見をしたり、後ずさりしたり、なかなか前に進むことができずにいます。根っからの弱気な性分と、怠惰な生活習慣から抜けだせなくて…。でももう言い訳はできるだけしないことにします。時代も2000年を刻んだことだし、そろそろ前向きに歩き始めようと決心しました。このホームページは「横山ひろあき作品集」とタイトルにしましたが、もちろん過去の総括で終わるつもりはありません。これからに向けての私なりの展望をここで示していきたいと思っています。一度にたくさんのことはできませんが、今できることからひとつづつ取り組んでいくつもりです。これまで私の活動を見守ってくださったすべての方のためにも、これからは自分の本来の仕事にちゃんと向き合っていきたいと思っています。

そんなわけで、ホームページは立ち上がりました。とはいえ、こうして出来上がってみると、案外内容の薄い、お粗末な代物になってしまいました。勉強不足でHTML言語の文法がさっぱり理解できず、WEB上での作法や常識ももまるで身についていなかったのです。なにしろ正直な話、私自身があまりホームページを見たことがなかったので。不備が多い点どうかご了承ください。これから時間をかけて整備し、充実させていくつもりです。

これから末永く、どうか宜しくお願いします。
 
(※最初に作ったホームページのタイトルは、仰々しくも「横山ひろあき作品集」というものでした・・・。ネット上で、自分の作品集を作っていくんだという意気込みでした。当時は気合い充分だったのです。今となってはそんな純粋なネットへの過信も恥ずかしいのですが、その頃の想いを自分でも残しておきたくて再掲載してみました)

花咲く野原にて

春から夏へ移り行く晴れた日の午後・・・。私はふとどこか遠いところに行ってみたくなります。私はひとりで歩いていられる自分が好きなのですが、時折無性に人恋しくなり、普段とは違う何かを求めたくなるのです。いよいよ夏も過ぎ、静かな秋の気配を感じるようになると、特別寂しい気もせず、ひとり遊びで事足りるようになるのですが。


6月のある晴れた日、私はスケッチブックを抱え、自転車に乗って外に飛び出しました。こんなにもあたたかな光の中になら、私の心をはずませてくれるものにきっと出会えるはずだと、そんな根拠のない期待に導かれて。行くあてはなかったのですが、見知らぬ風景に立って絵を描いてみたかったのです。その頃、私はもう半年以上も絵筆を握っていませんでした。私の内側には空虚な気分が支配していて、何をする意欲もありませんでした。でも、もう一度以前の自分を取り戻し、素直な気持ちで風景に向き合いたいと思っていました。

二、三時間、ただがむしゃらに自転車を走らせていたら、郊外の寂れた造成地に通じました。人気はなく、まばらに茂った雑木がやわらかな影を落としていました。自転車を止めてしばらく歩いていると、ちょうどいい具合な野原がぽっかり広がっていたのです。名も知らない花たちが美しく咲き乱れていました。ここだけ時間の流れが違っているようです。
「きっとここなら大丈夫」— —私はその場所がすっかり気に入ってしまいました。気分良く私はスケッチブックを開き、鉛筆を走らせます。風景を描くのは本当に久しぶりのことでしたが、少し手を動かしてればいつもの調子が戻ってくるはずです。私は真剣に風景に向き合いました。ところがどうやってもうまく描けません。どれだけ紙を汚しても、この時ばかりはどうにもならないのです。
私はすっかり途方に暮れてしまいました。明るい世界に出て行けば、また絵が描けるようになると思っていたのに。こんなにも美しい風景を前にしながら、何もできない自分がいる。すっかり道が閉ざされてしまったようで、私の気分は暗くなりました。私は絵を描くことをやめ、その場を立ち去りました。

それから一月が過ぎました。いつかと同じようにあたたかな午後、なぜだか不思議とあの風景をもう一度描いてみたくなりました。きっと今度は描けるような気がしたのです。私の胸の内は、いつになく穏やかな気分に包まれていました。でも、同じ風景に向き合うことは、私にとって少し勇気のいることでした。今度うまく描けなかったら、これからずっと絵が描けなくなるような気がしたからです。
あの時の野原は変わることなく、そこにありました。私は画材を準備し、草っ原に配置しました。そして静かな心持ちで、その風景に向き合いました。鉛筆で大雑把な構図をなぞった後で、すぐに絵筆に持ち変えました。私は、水彩の一般的な手順を外れて、気に入った箇所から描き込んでいくことにしました。可愛らしい野の花達が最初に姿を現しました。そしてその周りに草が茂り野原の表情をつくっていきます。空の青を画面ににじませた時には、もう日が暮れかかっていました。うるさい羽虫に邪魔されながらも、夕闇に追いやられる前に、私はどうにかスケッチを終えることが出来ました。
絵は仕上がりました。多少急いだせいで少し色が濁ってしまいましたが、その場の雰囲気は残すことができたでしょう。私はその時とても興奮していました。その出来栄なんかより、絵が描けたことの充実感で胸が一杯だったのです。たとえ上手に描けなくたって、私はこんなにも美しい世界を感じることができた。私はまだ絵が描ける----その喜び!

私はこの時の気持ちを忘れないことにしています。絵は、不思議です。どんなに描く意欲があっても、どうしても描けない時があるものです。それがある瞬間、何かがふっと湧き上がってくることがあります。その一瞬を捕らえることができた時、自分でも結構気に入ったものを仕上げることができるのです。その衝動はいったい何処からくるものなのでしょうか。外界から突然立ち現われるものなのか、それとも自分の内側にもともとあったものなのか---。そんなことを考えられる程に、私は絵の経験を積んでいませんが、自分の内側に何かしら込み上げてくるものがない限り、人から愛される絵は生まれないのだと感じています。

春から夏へ移り行く、晴れた日の午後。スケッチブックと絵筆を道連れに、さて今度は何処に出かけようか---。
 

色えんぴつ

新しい画材を手にするたびに、ときめきとかすかな「恐れ」を感じてしまうのは、私だけでしょうか…。まあたらしいチューブからパレットに色を落とす瞬間、まっしろなスケッチブックに筆を入れる瞬間、私はいつもとまどいを感じます。幼い頃に初めて手にした画具の喜びと驚きを、今でも引きずっているのかも知れません。長く絵を描いている人なら誰しも、自分の画具に特別な想いがあるのではないでしょうか。                           

私の家にはアトリエがありました。子供の頃そこに入るとよく叱られたのですが、父のいないときを選んでこっそり潜入したものです。油の匂いが鼻をつくその部屋には、高価な絵具や筆が乱雑に散らばっていて、それらひとつひとつがとても魅惑的であったのです。私は学校で持たされる児童用の「絵画セット」というものが嫌いでしたから、ときどきそこから気に入ったものを失敬することもありました。そんなある日、父につれられて画材店に立ち寄る機会がありました。少々陰気臭い店内に、埃のかぶったショウケース。そしてその中に飾られた外国製の高価な画材が私の心をとらえました。プリズムのごとき鮮やかな色彩を放つ絵具のラベルは、なんと美しかったことでしょう!子供だった私にとっては、それらが自分にはとても手の届かないものに思え、それだからこそ余計に私の感性を刺激したのです。
それからというもの私は画材店に、ある憧れの想いを抱いて足を運ぶようになりました。


高二の春でした。 通いつめた画材店で、私はある色鉛筆セットにふと目がとまりました。様々なメーカーの商品がたくさん平積みされた棚に、それは無造作にたった一つだけ置かれていました。可愛らしいライオンの絵のパッケージには『Safari』とだけ、聞いたこともないメーカー名が記されています。赤白青の三色旗が印刷されていますから、どうやらフランス製のようです。箱を開けてみると、なんとも素敵な色合いが並んでいました。色鉛筆のセット色というのは決まっているものと思っていたのですが、これはそうではないのです。赤といっても枯れてしまったような赤であったり、青は流れるような透明感のある青であったり---という具合に。しかも私の好きなグリーン系の色調がとても充実している。もちろん、金・銀などというばかげた色は入っていない。色鉛筆などさして興味もなく、国産のものしか手にしたことのなかった私にとっては衝撃的な出来事でした。そしてそのときから、私は色鉛筆の魅力にすっかり取りつかれてしまったのです。それは丁度、私の絵の転換期でもありました。
それ以前の私の絵というのは、当時の心境を反映して、また、品の悪い漫画やアニメーションの影響で、濁った色調の、暗く重苦しい性格のものでした。ところが、一人のやさしい人との出会いを契機に、私の絵は変化し始めたのです。とげとげしい内容のものより、やさしい世界を求めるようになり、主張の強い色より曖昧な色調を好むようになりました。そんな私の想いを、色鉛筆はいつも忠実に表現してくれたのです。

そうして今、私の手元には120本余りの色鉛筆があります。私なりに、自分に一番合った技法・画材をあれこれ模索してきて、ようやく気に入ったものを見つけた頃には、私の絵の中から色鉛筆の痕跡はあまりうかがえなくなってしまいました。 けれど私にとって、色鉛筆は最高の画材であり、大切な宝物です。そしてあの『Safari』こそが、忘れることのできない、思い出の色鉛筆なのです。

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