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ニキータ・ミハルコフの『絆』

ニキータ・ミハルコフ監督作品を特集したオールナイト上映が、テアトル池袋で企画されていたので観に行ってきた。上映作品は、5年ぶりの新作『シベリアの理髪師』『絆(1981年)』『太陽に灼かれて(1995年)』の3本。夜の10時20分に開映で、終わったのは朝の5時半過ぎだった。

ニキータ・ミハルコフは私の一番好きなロシアの映画監督。学生の頃に三鷹にあった名画座で、『機械仕掛けのピアノのための未完成の戯曲(1977年)』という素晴らしい映画に出会って以来、私にとってこの監督の存在が特別なものになってしまった。とにかくその映像が繊細で美しく、ロマンティシズムに溢れた作品だった。最近は作風が少し大味になってきて、詩情が希薄になってしまったが、それでも古き良きソビエト映画の感触を今に伝えてくれる、貴重な映画監督の一人であることに間違いないだろう。

今回、長編作品としては私が唯一観ていなかった『絆』という作品が上映されたのでとても楽しみに観に行った。ミハルコフは19世紀末〜今世紀初頭のロシアに時代設定を置いたものが多いのだが、この作品は初めて彼の同時代を扱った作品だった。
映画の冒頭シーンに、いきなりけたたましく騒ぎ立てるオバサンが出てくる。自分だけ切符が買えないのは不公平だと駅員に文句を言っているのだ。いつものデリケートで優雅な作風とあまりに違う感触に、正直かなり戸惑った。そのオバサン(田舎暮しのマリアという中年女性)が、都会の街に住む娘一家を訪ねていく。その列車の車中、これまた下品で不愉快際まりないオジサンが登場するのだが、その中年男性(リャーピン)とマリアは次第に親しくなる。

やっとの思いで再開したマリアの娘は、けばけばしい化粧をし、派手な服を身につけ、おまけに亭主とはすでに別居状態だった。亭主は見るからに情けない男で若い愛人もいる。孫娘はいつもヘッドホンをつけて耳障りな音楽をガンガン鳴らしまくっている。皆がいつも苛立っていて、なじり合い、奇声を上げ、部屋の内外から騒がしい音が始終鳴り響く。都会の喧噪と空虚な人間関係にすっかり嫌気がさしてしまい、田舎に帰ろうとするマリア。そんな折、車中で知り合ったリャーピンと再会する。
映画は後半になって、その登場人物一人一人がそれぞれ悩みを抱え、傷つき、苦しみながらも、精一杯生きている姿を浮かび上がらせてくれる。とても感情移入できるはずのなかったマリアやリャーピンが、とても実直で美しく、魅力的な人物に感じられてくる。マリアが娘達のためにやろうとしたことが、ますます事態を紛糾させてしまうのだが、それでもバラバラだった人間達が少しづつつながっていくことになる。その展開はとてもドラマチックで感動せずいられないのだが、映像はあくまで淡々としていて過剰な演出もなく、それぞれの個人の素顔を淡々と写し出すだけなのである。

ラストシーンにもハリウッド的なハッピーエンドは用意されていない。いつも傷つきやすくて結び直すのが難しい現代の人間関係を、飾らずに実直に描いていく。それでもミハルコフの視線はあくまでやさしく、愛情に溢れていて、人間の可能性を示している。

……なんて豊かな映画なんだろう。私の大好きなミハルコフ。