旅行前からずっと、必ず行きたいと思っていた「聖ニコラス教会」。

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最初、この教会の前に来た時は「あれ、道を間違えたかな?」と思ってしまったほど、こじんまりとした佇まい。でも中に収められている展示物は、どれも非常に見応えのある素晴らしいものばかりでした。

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聖ニコラス教会は、13世紀前半にドイツ商人居住区の中心に建てられた教会で、非常時には要塞としても役立てられたそうです。1944年の空爆で破壊されたために、残念ながらも原型の内装はまったく残っていない。外観のみが修復・再現され、現在は美術館&コンサートホールとして利用されています。

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入場料は、3.20ユーロ。安い!しかも、ガイドブックでは「撮影不可」と書いてあったけど、写真撮影もOKでした(フラッシュは不可)。

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展示室に入って最初に感激したのがこの展示作品。なんという悪魔的な美しさ...。教会にあった祭壇の一部でしょうか。それとも富豪の商人の家にあった実用品でしょうか。目眩がしそうになるほど濃密な装飾。

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教会の内側には、高い塔の上から光が斜めに差し込み、美しい陰影の世界を造り出していた。この教会の構造は、「灯り」によって何かしらの対象物を照らし出すことより、「陰」を演出することにこそ大事な意図があるように感じました。

この荘厳な空間で演奏されるオルガンは、どんな美しい音を響かせてくれるのでしょう。コンサートの機会に、ぜひ立ち会ってみたかったな。

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これはリューベックの職人、ヘルメン・ローデ作の主祭壇(15世紀)。この教会のなかで、もっとも貴重な展示物のひとつ。表側の左右には聖ニコラスと聖ヴィクトルの生涯が描かれています。そして、この祭壇は二十の観音開きの構造になっていて、中央を開くと彩色された聖人像が彫られているらしいのですが、閲覧できる機会は滅多にないそうです。

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この妖艶な美しさに、ふと、クラーナハの官能的なヴィーナス像を思い起こしました。

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その他にも15〜16世紀に作られた祭壇などがいくつか展示されていましたが、絵の部分よりも周囲の装飾部が面白かった。こういう細部にこそ、エストニア独自の文化が息づいていると感じます。

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そして、この聖ニコラス教会を世界に知らしめているのは、何と言っても、この「死のダンス」が保存されていること。リューベックの画家・彫刻家のベルント・ノトケの手によるもので、15世紀後半に完成した作品。画中には左から、法王・皇帝・皇女・枢機卿・国王が並んで描かれ、不気味な骸骨たちと共に「死の舞踊」を繰り広げている。(作品が厳重に管理されててうまく撮れなかったので、こちらのサイトなどをご参照ください。→http://www.dodedans.com/Eest.htm)

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横長に展開する作品なのですが、現存するこの絵は作品の一部分のみで、オリジナルのそれ以外の作品は失われてしまっています。本来は全長30メートルくらいの作品で、教会の室内の壁面をぐるりと囲む形で作品が配置されていたようです(→★参考サイト)。

「死のダンス」の背景にあるのは、14世紀のペスト大流行という大事件。中世ヨーロッパでは、ペストだけでなく疫病による死者は相当な数だったと想像されるし、魔女狩りや異教徒弾圧といった残虐な殺戮が繰り返され、人々は常に死と隣り合わせにいる状況にあったのでしょう。死の恐怖から半狂乱になって踊り狂う人たちが出現したり、疫病の災いを祓うために骸骨に扮した祈祷師らが街中を歌い踊りながら練り歩く儀式が行われていました。そして「骸骨」と「死の舞踏」というモチーフは、15〜16世紀に至って盛んに描かれるようになります。閉塞した社会状況を反映させて、「王様であろうと極貧の農夫であろうと、死はまったく同じように訪れる。"生"はかりそめ。この世は"死"によってこそ支配されているのだ」...という「現世の無常観」が広く世の中に蔓延し、骸骨たちの図像が様々な場所に刻まれることになるのです。(しかし後の時代にそのような世界観が否定され、それらの作品は破壊・改変されてしまう。この「死のダンス」も上描きされていたが、長い時間を費やして修復された。)

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それにしても、この踊る骸骨たちはなんと生き生きとしていて、鮮やかな存在感を放っているのでしょう。聖人を描くことに飽き飽きしていた画家たちの想像力が、そこに居場所を見い出したようにも思えます。そしてこの絵に大きな魅力を与えているのは、画面中央に描かれたメランコリックな憂いを浮かべた女性の表情。「皇女」という設定になっているようですが、どこかしら少女のような面影を宿しています。焼け残ったのがこの2枚でなかったなら、これほどまでに多くの人に愛される作品にならなかったのではないでしょうか。歴史的な偶然によって部分のみが残されたからこそ、この作品は「死と少女」という魅惑的な、そして文学的なテーマとも結びついたのかもしれません。

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聖ニコラス教会で見た「死のダンス」は、そんな連想を誘いつつ、忘れがたく妖しい美しさを放っていました。〈続〉